BLOG - ONENESS仙台設計企画室 一級建築士事務所

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”茶の湯”の愚弟として

思えば・・・・私と妻との結婚のきっかけは”茶道”がきっかけでした。
いまはすっかり忘れてしまいましたがあ歴史的にも有名な方が埋葬され祭られているお寺が正に・・・・
まぎれもなく、私と妻の出会いも場所だった。

社中と云われる様に私と彼女(妻)はその社中で出会いました。
設計の道に迷う20代の頃でした。数寄屋造りや書院造りの創られてきた真髄というものが日本人として自然に感ずることが出来れば・・・・と思い入門しとのですが、今になって見れば愚弟であり煩悩の塊であったに違いない。

社中では課外活動は盛んでスキーや飲み会が結構多く・・・もしろそっちの方が積極的だったかもしれません。
でも、間違いなくそこで妻とは出会い結婚に至ったのでした。

結婚式も・・・珍しくお寺に紅白の幕を下げさせていただいたことでした。師匠は住職でありましたがそのお寺で式を挙げ、そのあと、茶室をお借りして親戚だけで妻のお点前でお茶会をあげさせていただいた。

華燭の典とは正にこのことだと住職は言ってくださいました。「男は蝋燭を持ち、女は花を持ち祭壇に誓いを経てる。」・・・・ということらしい。

でも当時の私の収入内での結婚式の費用では・・・・非常に・・・助かりました。(笑)
住職の計らいでだいぶ安く設定していただきました。(感謝!)

師匠曰く
とにかく、”薄茶”は「ひたすら、お点前を繰り返すことによって・・・・何か・・が映りだされていく。それを感ずることが出来る!」と諭された記憶があり、ただひたすら”薄茶”の点前をしていましたが・・・残念ですがその域には到達できませんでした。

勿論、道具一つ々に込められた思いを感ずる心を養うことはできたつもりですが”形と心が一体になったときに人として何かを感ずることができる仏教であれば悟りみたいなものだと思いました。

相手の気持ちになってひたすらお点前をする。相手もそれを悟り、味わい、そして感謝する。それが日本人としての心の原点のような気がします。”茶の湯””風炉”は忘れてはいけないもののような気がいたします。

我が家は子供はやっと社会にでて親の手を離れていく気配・・・・また、夫婦でゆっくりと”茶の湯”を学び直そうかと考え中です。

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