BLOG - ONENESS仙台設計企画室 一級建築士事務所

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わたしの永遠の背番号7

また・・趣味の話で恐縮ですが
野球観戦が好きでよく楽天の試合など観に行っている。

その中でも往年の背番号7が好きでその彼を応援していた。 

私が仙台を離れて忙しくしている間・・・楽天の背番号7番はいつの間にか引退していたのでがっかり・・・・。

私の中年の星だった。

きっかけは、当時所属していた会社の社長が名古屋からの付き合いで後援会会長をしていた。
そんな縁で背番号7の後援会の会場のお手伝いを通してお手伝いをしていたのでしたが、彼の生い立ちなどを聞き、徐々に好きになっていったという訳です。

彼が体格は見ての通りガッチリした体格ですが相撲や柔道もやってらして全国区レベルであったのにはびっくりもしたしまた親近感も持てた。それは格闘技好きのツボにはまったのかもしれません(笑)

彼の格闘家のような筋肉や抜群の身体能力にはびっくりさせられた。
そんな彼は毎年、暮れに青葉区区落合の”こども病院”を訪問している。

そして、彼の往年の頑張りはライフワークともいえるここにあると私は思った。
彼曰く「死を目の前にして頑張っている子供たちを見ていると・・・・練習が辛い!とか身体が痛いとか・・・言ってられない・・・。」
涙ながらそんな言葉をつぶやいたという・・・・。

往年の頑張りは並大抵のことではないと思うが・・・
彼は不死鳥の如くよみがえっている。
彼の頑張りはきっとそんな処にあったのではないかと思う。

でも、そんな彼の引退には立ち会えませんでしたが、たまたま、仕事で県北の築館にいた時彼の講演が文化会館であることを知り

なんというタイミング!
確かこの地に近い・・・
大崎市に彼の名前の球場を寄付してありまた、あの内陸地震の時はこの地に多大な寄付をしていたとあとから聞いた。

そんなことで大勢の人が会場に詰め寄せていた
そんな中で壇上に立つ変わらぬ彼の姿をみて震災復興にたいする力を貰った気がしたのを今でも覚えている。
私の大好きな背番号7が
また、彼の愛した仙台にきっと何らかの形で戻ってきてくれると
わたしは信じている。

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